仙 北 鉄 道
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大正10年(1921年)10月10日,東北本線の瀬峰駅から,わたしたちの中田町を通って登米駅をむすぶ仙北鉄道(軽便鉄道)が開通しました。
沿線(えんせん)各地では,汽車を見る人がおおぜいつめかけ,たいへんなにぎわいでした。開通当時,29キロメートルあまりの道を一日5往復して,約600人ほどの乗客を運びました。 |
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開通当時の機関車 |
鉄橋をわたる汽車(迫川・昭和のはじめころ) |
石森駅につとめていた人の話 |
開通当時は,人々がよく「夜でも乗せてくれるのか」「東京へも行けるのか」と,夜おそくまでたずねてきたものです。それだけゆめのような乗り物だったのでしょう。 |
駅のふきんには,だがし屋が一けんあるだけでしたが,ぽつぽつと家や店がたち,そして,一年後には,石森の町から停車場道路ができ,だんだんにぎやかになってきました。
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水害で,何度か線路が流されてしまうこともありましたが,仙北鉄道は,私たちの大切な交通きかんとして,乗客や荷物などを運びつづけました。 |
しかし,バスや自家用車が急にふえたために,昭和43年(1968年)3月31日,とうとう線路をはずすことになってしまいました。 |