加賀野小学校

 

 明治6年(1873年)6月に,海蔵寺を教場として始まりました。

 明治17年(1884年)には,洋風二階造りの校舎が新築され100名の子どもが学びました。
 明治22年(1889年)に石森小学校の分教場となったあと,明治34年(1901年)独立して加賀野小学校となりました。先生は4名,子どもの数は203名でした。
 大正15年(1926年)には,石森小学校の分校になりました。
 戦争時代の昭和16年(1941年)には,石森国民学校加賀野分教場とかわりました。
 昭和23年(1948年)に独立して石森町立加賀野小学校となり,児童数263人で始まりました。
 昭和31年(1956年)町村合併で中田町立加賀野小学校となりました。校舎は,国道346号線の南側にありました。
 昭和56年(1981年)の台風で校舎の屋根がこわれるほど,いたみがひどくなってきたので新しい校舎を建てることになりました。
 昭和57年(1982年),今の校舎が完成し,コンピュータ室やワークスペースといった新しい部屋もつくられました。その後,プールや体育館がつくられ校庭にも芝生が植えられました。
 平成10年(1998年)学校のまわりに急激に宅地が増え,児童数が増加したため,プレハブの校舎が建てられました。。

加賀野小学校のあゆみ

い つ     で       き       ご        と

明治 6年

 海蔵寺を教場として加賀野小学校がはじまる

   17年

 洋風二階造りの校舎が新築される

22年

 石森小学校の分教場となる

34年

 石森小学校から独立して加賀野尋常小学校となる
44年  校舎ができる
大正15年  石森小学校の分校となる
昭和16年  石森国民学校加賀野分教場と名前が変わる 
23年  加賀野分教場が独立して加賀野小学校となる
29年  校歌ができる
31年  町村合併により中田町立加賀野小学校となる
32年  旧校舎が建てられる
35年  校旗がおくられる
40年  旧体育館ができる
41年  プールができる
57年  茶畑地区に現在の校舎ができる
58年  現在の体育館とプールができる
59年  校木を「クロマツ」と定める
平成2年  県の学校花だんコンクールで優良賞を受ける
5年  6年生男子陸上400メートルリレーチームが全国大会に出場する
6年  全日本健康推進学校中央表彰(小規模校の部)を受ける
10年  給食配膳室落成する

[石森小] [加賀野小] [宝江小] [新井田小] [上沼小] [上沼中央小] [桜場小] [浅水小] [学校top]