新 井 玉 英
(あらいたまひで)

 

 新井玉英は,1972年(寛政14年)石森の白雉山のふもと,白治に生まれました。小さいころから,かじやのしごとにきょうみをもっていました。大きくなってから,刀やてっぽうかじのことなどを勉強しました。
 後に江戸に出て,すぐれたぎじゅつを身につけたばかりでなく,よろいかぶとをつくる勉強もしました。佐沼の新妻先生は,玉英のうでまえがたいへんすぐれていることを知り,なにかと教えみちびきました。
 玉英は,さいしょ「新刀辨疑(しんとうべんぎ)」というかじの書きものによって,刀をつくりましたが,思うようにはできません。この作り方のこつを教えてくれたのは,武広,卵啼(らんてい)の二人の先生でした。
 玉英は,その後,さらにわざをみがき,日本でも有名な刀かじの一人となりました。1862年(文久2年)に72才でなくなりました。墓は,石森の安永寺にあります。

 

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