半 田 卯 内

(はんだうない)

 半田卯内は,1851年(嘉永4年)佐沼に生まれ,小さいときからよく勉強して,たいへんすぐれた子どもといわれていました。
 明治41年(1908年)から15年間も登米郡長をつとめ,この地方の人々の生活をよくするために大きな働きをしました。
 中田沼を開墾して水田にしたり,揚水機場をつくって北上川の水を引いたり,高石(南方町)の排水事業などをして水害に苦しむこの地方のためにつくしました。(半田卯内:中田沼の干拓)
 そのほか,宮城県立佐沼中学校(現在の宮城県佐沼高等学校)をつくることや,仙北鉄道(昭和43年に営業を中止した軽便鉄道のこと)の開通にも努力しました。また,「登米郡史」をつくることなど,多くの働きをしました。
 昭和36年(1961年)半田卯内のすぐれた功績をたたえた記念碑が,銅像とともに佐沼の鹿ケ城公園に建てられました。

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