新 井 雨 窓 |
(あらい うそう) |
新井雨窓は,名を誼道(ぎどう)といいます。石森小倉で昔から医者をしていた戸板という家に生まれましたが,雨窓は医者になることよりも,学者になることをねがっていました。 |
22才のとき,江戸(今の東京)に出て,全国から学者になりたいと思って集まってきたすぐれた人たちと,いっしょにいろいろ勉強しました。 |
1850年(嘉永3年)雨窓は,仙台藩の養賢堂(ようけんどう)の先生から,1862年(文久2年)養賢堂学頭添役(ようけんどうがくとうそえやく)(校長心得)なり,1866年(慶応2年)学頭(校長)になりました。 |
明治になってからは,各地をまわり,学問を教えましたが,その後,初代佐沼小学校長として,郷土の教育につくし,明治8年(1975年)63才でなくなりました。墓は,石森の小倉にあります。 |
※養賢堂:仙台にあり,さむらいの子どもを教育した学校
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